日本神話及び中国神話の比較論文読んで思った話

HDDの掃除していたら、2011年に比較民俗学のゼミで作ったレジュメ出てきた。

加筆してブログに投稿する。当時ハタチなので稚拙なのは勘弁して欲しい。

まぁ、今も稚拙だが。

 

1.何故神話から民族性を見るのか

各地の神話は民族のルーツを説明しているものが多い。

(おおざっぱに言えば日本人は全員イザナギイザナミの子孫だ、無理矢理か)

そこで、各民族が設定した原点を知ることで民族性が見えると考えた。

しかし記紀等、権力者によって手を加えられたと推測されているものが多い(天武・持統両天皇よ…)のため、どのような利点があって元々のものをねじ曲げたのかを考えることでその民族の特色が見えてくると考えた。

 

2.基本的な日本神話と中国神話の違い

日本神話は主に古事記日本書紀が元になっており、古事記はとりわけ物語性がある。日本書紀大和朝廷が誕生した際に天皇の存在を正当化するために編纂されたと考えられている。つまり歴史書であり、天皇家の正統性を対外的(とりわけ中国に)に証明する為に作られた。古事記は前述の通り物語性が強く、前者の限りではない。正直余り調べてないので分からない。まぁ、物語として読むなら古事記のほうが面白いと思う。

中国神話は古事記日本書紀の様に整理されて体系的に編纂されたモノがあると言えばあるが、膨大である。(史記山海経淮南子等、思想書も混じっているが気にするな)

話の腰を折るが、そもそも多民族である為、ターゲットを絞らないとルーツを探るのは困難であり、また今回のターゲッティングが単一民族ではない為、記紀のように分かりやすく体系的ではない。ご存じの通り王朝の交代も激しく、一部を切り取っただけでも唐代三夷教(ネストリウス派キリスト教ゾロアスター教マニ教)等が存在しており、これらも影響を与えている。

マニ教に当たっては明教と呼ばれ、清の時代まで信仰者がある程度の政治的権力を持っていたらしいとのこと。

しかし、中国の少数民族の神話の中に日本神話に似た神話が点在している。それらを記録しているのは古代中国の思想書や啓蒙書に作者が自分の考えの正当性を強めるために引用したものが残っているとのこと。分かりやすく言うならば、日本でいう風土記逸文であろうか。そのため日本神話と比較するとなると中国各地に逸文の神話を統合し比較しなければならない。

話の腰を破壊するが、伊藤清司の日本神話と中国神話を読んだ。専門家でもっても、この作業はかなり困難な作業だと言うことが分かった。逆に体系的に残っているギリシャ神話などと日本神話の比較作業は比較的行われているらしい。当然のことである。余談だが、西洋占星術やタロットを行なう場合ギリシャ神話・旧約聖書・新訳聖書は知っておいた方が楽しい。

 

3.創世神話から見る中国神話と日本神話の共通点

 引用する。引用元は忘れた。当時大学生だ。許してくれ。

遠い昔、日本がまだできておらず、「浮かべる脂の如くして水母(くらげ)なす漂えるとき」のことであるが、イザナギイザナミという二柱の兄妹神がが「天(あめ)の浮き橋」に立ち、まず「天のヌボコ」で海水をかき回してオノゴロ島を作り上げた。それから、天井から「天の御柱(みはしら)」を立て、「ヤヒロドノ」を建てた。その後兄であるイザナギは妹であるイザナミに「ぼくの体はできあがったが余ったところが一カ所在る。だから、ぼくの余ったところを君のならないところに挿入して国を生み出したいが、君はどう思う」と聞いた。イザナミは「ええ、いいわ」と答えた。するとイザナギは「それじゃ、ぼくと君はこの天の柱を回って結婚しよう。つまり君は右から回りなさい。ぼくは左から回って君に会いに聞く」と兄妹結婚のルールを説明した。その後、彼らはルール通り「天の御柱」を回って結婚し、日本の国土と神々を生み始めた。

それは大昔、天地は未だ開けず、宇宙は渾沌としていて丁度大きなタマゴの様だった。この大きなタマゴの中に盤古という巨人がこんこんと眠っていた。ある日、盤古が「やっと長い眠りから覚めた。周りを見渡せば、まっくらで何一つ見えなかった。しかも、息がつまりそうだった。「なんと悪いところだろう」と盤古はとうとう我慢できず、両手を突き出し、両足を踏ん張って、「ここを出るぞ」と行って立ち上がった。それと当時に、大きな爆音が轟き、宇宙という大きなタマゴがとうとう破裂してしまった。その後、渾沌としたものが分化しはじめ、軽く澄んだモノは上へ上へと登っていって青い空に変わり、重く濁ったものは下へ下へと沈んでいって雑バツな大地に変わった。

昔、昔、大昔、地球上で大洪水が氾濫して、人々は溺れたり飢えたりしてどんどん無くなり、大洪水が収まったときに人間がただ二人だけ残っていた。一人は伏羲、もう一人は女媧で、しかも彼らは兄と妹の事柄であった。兄である伏羲は子孫のことも考えて、とうとう妹である女媧に「僕たち二人で結婚しよう」と申し入れた。しかし、「実の兄妹だからどうして結婚することが出来よう」と女媧は恥ずかしく思い、中々伏羲の申し入れを受け入れなかった。最後に、天の意志に従おうと女媧は決心して、「私たちは目の前のこの天柱を回りましょう。もしお兄さんが私を捕まえたら、私たちはすぐに結婚し、もし捕まえられないなら、結婚はやめます。どうでしょう」と伏羲に言った。「それじゃ、早速追いかけるぞ」と言って伏羲はその天柱をまわりながら女媧を追いかけはじめた。

しかも最後に、とうとう彼女を捕まえた。彼ら兄妹は約束通りに結婚し、沢山の子供を産んだ。その沢山の子供が中国人で、伏羲と女媧は中国人の祖先なのだ。

中国での有名な創世神話である北方の盤古伝説及び、南方の伏羲女媧兄妹と日本神話の天地開闢を比較する。

盤古伝説は世界中に点在する世界の原書は巨人であったという神話(北欧神話のユミルもそう、ハイヌウェレ型神話)であるが、ここにイザナギイザナミのような世界の始まりは夫婦であるという要素はない。しかし伏羲女媧兄妹の物語と日本神話のイザナギイザナミはほぼ同形の形であり、中国南方という地と古代の日本が西日本中心だったと言うことを考えると文化的に非常に近かったのではないか、と李国棟は推論している。どちらも「回る」というムーブがあり、何かしら意味がありそうだ。調べたら面白そうだがキリがないので割愛する。

日本神話と中国神話を読んでこのほかにも少数民族の神話などと日本神話を比較しているものがたくさんあったがきりがないので、これまた割愛する。逃げて良いだろうか。

沼だ、これ。

 

4.記紀神話がある日本と明確に存在しない中国との比較

日本は世界最長の王朝である天皇家を持っている(笑)。古事記日本書紀鵜呑みにするのならアマテラスの子孫が今上天皇であるということは間違いない。これは世界的に見て異例なことである(笑)。これを考えると中世の武家に対する古事記日本書紀の影響力(朝廷が存在し続ける根拠として)は計り知れないのではないかと感じた、中国のように王朝交代しないあたり。義満がしようとしたが。

つーか、どっかで血も普通に断説してると思う。鎌倉幕府の将軍みたいにさ。

継体天皇とかさ、色々あるよね。

明治天皇はすり替えられたと思う、南朝は正統だと思う。

ちなみに日本の次に最長に続いている王朝はエチオピア王家である、伝承の通りソロモンとシバの女王から続くなら皇紀をまともに扱ってもエチオピアのほうが強いが、残念ながらアムラク帝からが通説っぽい。最後の皇帝はラスタファリズムで有名。

ちなみにエチオピア王家の末裔は社会的な運動をしている。

中国は漢民族だけではなく様々な民族が入り乱れて国を作ってきた。王朝はその都度変わる。禅譲といった形で前王権の王の娘を娶り、血を重視することは変わりない。

※当時の自分よ、ここいらなくないか?加筆しようがないぞ※

 

5.神話編纂の姿勢から見る日本人と中国人の性格

日本:古代の天皇家(とりわけ天武・持統)は日本書紀をなる早で編纂し、国内外において神秘性及び正統性を保ち、政治の舞台が武家に変わっても迫害されなかった。暴論だが「みんなと同じ信仰対象がある」という意識が作りたかったのでは無いだろうかと推論する。ここに日本人らしさである「みんな同じ、出る杭は打たれる」という概念を見いだせるのではないかと。

中国:日本の様に統一された神話があるかすら分からず、断片的に残っていることは珍しいと伊藤清司は言っている。中国は合理・功利主義が古くからあり神話を体系的に編纂するより自らの理念を神話と混ぜて語らせたほうが有意義なのではないかと考えたのではないだろかと思う。つまり日本と比べて「自己が強い」のが神話比較からも読み取れるのだ。

 

6.合理主義からみた恥

日本人の特徴の1つである「恥の文化」は中国の合理・功利主義からみたら自己を殺すことであり、反する文化ではないかと思った。他人の目を気にすることで自己の利益を押さえ込むということであり、自己が強い中国人の特色とは正反対である。例えば朝の有楽町線でクソデカ荷物を持ってドア付近に集団で居座る中国人、軍隊のようにキチンと乗り込む日本人。こういうところで文化の違いが出るのだと思った。私は時々酔っぱらいに絡まれた時は中国人のマネをしてトラブルを乗り切る。絡んでくるやつに中国語分かる人間はあまりいないだろう。ちなみにタモリの動画で覚えた。

脱線しまくるが、日本人の悪いところは平日昼間のプラットホームで分かる。

線路―――――線路

  ■□

  ■

2列で並んで下さいと書いているのに□ではなく■のところに並び、私が□のところに並ぶと後列■のガイジが横入りのような雰囲気を醸し出す。とりわけ男性でない方が。バカか?俺と同じくらいバカだろう。

これ以上はクソバカフェミニズムに触れてしまうので言及を避ける。

 

7.8年前の論文を読んで

あんま変わらねぇな俺。諸星大二郎をもっと理解する為にも山海経でも読もうかなと思った。

また積ん読が増えるよ。やったね、たえちゃん。